【コラム-ADHD②】就職活動の失敗で学んだこと


前記事:【コラム-ADHD①】劣等感と挫折、そして就職へ

私が発達障害と正式に診断されたのは社会人になった後です。自身の特性を把握せず、ミスマッチな就労を行い、継続せず退職しました。続けられなかったのは努力と能力が足りなかったと長い間考え続け自分を責め続けました。

しかし日を重ねるごとにこの失敗は自分の特性上避けては通れない道であったと考えるようになりました。手痛い失敗でしたが多くの学びを得ることがありました。今回は就労に失敗した原因と、そこから何を学んだのか、振り返ってみようと思います。

目次

就職するまで

自分が周囲よりもかなり不器用なことは子供時代から感じていました。それがワーキングメモリの弱さであると知っていますが当時はどうしても人と同じようにできない自分は劣った存在なのだと卑屈になりがちでした。失敗を恐れるあまり苦手なことを先延ばしにすることが多々ありました。創造的なこと、絵を書いたたり、文章を書くことは得意でしたので表彰されることも少なくありませんでした。普段は劣等感に苦しんでいましたが賞等の肩書がつくことで自信が取り戻せること感じることもありました。

私が初めて働いたのは大学時代です。1年目は仕事を覚えることに困難を感じました。複数の作業を同時にすることが困難でなかなか仕事を覚えることができませんでした。2年、3年と仕事をするなかで徐々に慣れていきましたが、社会にでて一般企業に就職することはやはり厳しいのではないかと漠然とした不安がありました。

ならば公務員なら大丈夫だろうと、安易に手当たり次第にあらゆる公務員の採用試験を受けることにしたのです。自分がそこで何ができて何をしたいかという思考に至りませんでした。幸か不幸か、そのうちの一つから内定をもらうことできたのです。私は警察事務職員員になりました。自己肯定感の低い自分にとって、「公務員」の肩書は大きな「強み」と感じていました。

惨敗だった社会人一年目

私が警察で配属されたのは会計課の落とし物係でした。財布が届けられたら一円たりとも間違わずに帳簿に中身を記録する。ミスが笑ってすまされない世界に入ってしまったのです。
 
もはや自分は学生ではありませんし、自分の担当の仕事に対し社会人として責任をもたなければなりません。沢山の書類を作成しなければなりませんが私の書く文字は特徴的で公的な文書を作成するにはあまりにも個性的すぎました。

なにより苦手だったことは公用車の洗うことでした。ワーキングメモリが弱い私は、数秒前に洗った場所を忘れてしまうのです。同じところばかり磨いたり、一方で全く汚れが落ちていない箇所がでてきてしまうのです。毎日が叱責の嵐でした。その原因が努力不足であると感じた自分はなんとしても克服しようと通勤を続けました。しかしストレスによって二次障害のうつになり退職を余儀なくされました。

失敗の原因を考えてみた

就職の失敗の原因は自己の努力不足であると長い間考えていました。今振り返るとむしろ職場に適応しようと必死で努力したように思えます。会社を選ぶ段階で大きな失敗をしてしまったと感じるようになりました。沢山の原因を考える中で、以下のようなことが挙げられるようになりました。

① 目的意識の欠如

自分が何をしたいのかよりも、自分がどう思われたいかで仕事を選んでしまったことが一つの原因にあります。仕事を続けていくには、自分が就職先で何ができて(何ができるようになって)、将来にむけてどんな目的があって仕事をするのかはっきりとさせる必要があります。

警察に務めるなら、将来どんな部署に所属を希望して、自分が持つこんな力を役立てたいかビジョンを持つ必要がありました。目的を達成するために、自分自身で作った目標を達成しなければならないのです。学生段階で明確にそれを意識することは難しかったのかもしれません。

しかし、「周りがうらやましがるから」、「倒産の危険がなく給料が安定しているから」という動機はあまりにもお粗末でした。就労移行支援施設に通う中で10年後の自分はどうなっているかを考えるプログラムがありましたが自分は就職する際に一年先のことも考えていなかったのです。

② 働く先のリサーチ不足

仕事を探す時、働く先がどんな職場であるか事前に調べることは必須であると今では考えます。学生時代の自分はそんな当たり前のことができませんでした。そこで働くにはどんなスキルが必要なのか、自分にとって続けられる職場環境なのか。全く調べていないわけではありませんでしたが仕事を選ぶ際にそこに重点をおくことはありませんでした。

警察は一般の企業とは違い、独特な風習のある組織です。公務員だから問題ないだろうと、その点あまり深く考えることはありませんでした。知名度と給料だけで仕事を選ぶことは危険であると言えます。

③ 自身の障がいの知識と自覚の弱さ

自分がADHD傾向にあることは就職前にある程度の自覚はありました。あくまで個性のレベルの認識しかありませんでした。自分の特性と就職先の特性が全くマッチしてないことがわかったのは、働き始めて間もなくでした。

私は細かい仕事をミスなく丁寧に行うことが非常に苦手でした。子供の頃よりは遥かに改善されたものの、集中力を維持し続けることも困難でした。何より致命的だったのは、先延ばしの傾向が強かったことでした。

警察組織で上記の傾向があることは致命的だったといえます。さらにまずかったことはそれが努力によって改善されると周囲も本人も思っていたことです。自分もなんら障がいについて診断を受けたわけでもなく。周囲もそんな事情を知るよしもありません。激しい叱責と始末書を書き続ける毎日でした。発達障害は単純に努力するだけでは改善できません。その知識が無いため、自己肯定感をいたずらに下げる日々でした。

まとめ

就職の失敗は大きな挫折でした、大学時代、あの時こうしていればこの結果にならなかった、など悔やむこともありました。しかし今ではこの失敗は必ず自分の通る道であったと考えています。

失敗があってからそこ、原因を振り返ることができ今の自分に役立てられたことも事実なのです。紆余曲折があったものの自分の障がいを知り、改めて自分の力が発揮できる職場に就職できました。

長く仕事をする上で重要なことは他者からどう思われるのではなくその会社で自分が周囲にどんな役に立てるのか、何を目的に仕事をするのか明確にした上で決める必要があると感じます。

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